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where will we go, what will we do,

 安保関連法案が本日の未明に成立した。 「抑止力」や「周辺で起きる万が一の有事のために」と言っているが、こういう人たちは一体いつの時代の話をしているのだろう。 昔も、そりゃ今だって戦争をするには「大義名分」がいる。平和を主張する国に対して攻撃をするのに、その後の国際社会での地位や信頼の崩壊や、国連からの制裁などのリスクに匹敵する「大義名分」てどんなだ。  例えが悪いかも知れないが、良識ある人たちが「ヤンキーにからまれると嫌なので、ちょっといかつくなります」と言っているようなもの。ヤンキーたちはその良識ある人たちを見てどう思うだろう?「うわあこわい」て思うだろうか。「は?なめてんじゃねえぞ?ヤル気かコラ?」てなるだろう。良識ある人たちを襲ったとしても、傷害罪や窃盗などで実刑くらうリスクがあるんだから、そんな阿呆なことはしない。「たまにその阿呆がいるんだよ。だから」というのはさらにレベルが下回る。そんな阿呆は実刑を喰らい、犯罪者となり、その後の人生を棒に振ることになる。  この法案はアメリカと日本の最後のパイプだったのかも知れない。お互いに国力も弱まってきて、特にアメリカにとって日本との同盟関係を維持するメリットがもはやなくなってきており、日本も「同盟国を維持するメリットのプレゼン」を必死に行わないといけなかった。経済的にだったら中国と結びつく方がよっぽどアメリカの利になるが、それをしてしまうと日本が「いじけて」しまう。そこをアメリカ側が配慮し、「ほな」ということで「わしら戦争で結構金使ってんねん。もうあらゆる形でサポートして」ということだった。「あんたらリスク負わんのに同盟だけ続けてってそりゃムシがよすぎまっせ」と。  日本はやはり「精神的ニート」だった。自立しようと思えば出来たし、その力も十分すぎるくらいあった。でも我々は怠けてしまった。政治的関心も世界から見ると圧倒的に低く、真剣に政治家を選ぶこともなく、目標を全く持たず、だらだらと時の流れに任せて生きてしまった。  この問題は「沖縄の基地問題」がちょうど相似形の問題。「基地はいらん!」とは言えないし(戦後きちんと努力してれば言えた)、あればリスクが増す。その「沖縄」にあたるのがこの法案が成立した今、「自衛隊」であり、「お!ヤル気かコラ?」と思わせた時点で日本国土も「同盟のリスク」を負うことになる

なぜ閉じようとするのか

閉じた世界は怖い。原理主義や軍国主義、独裁。 そういったものの扱いは非常に厄介だし、もちろん力づくなんかじゃ破壊できない。 アメリカが昔っから叩き潰そうとしてるイスラム原理主義なんて場所を移動してるだけで、しかもどんどん拡大している。 もちろん開いた世界のことも少しは彼らも知ってるかも知れない。 しかし婉曲した情報を刷り込まれたり、熱心な愛国教育により、開いた世界を良しとはしないし、「良しとすると罰せられるから」とペナルティ方式に思い込んでるのかも知れない。 日本は「開いた世界側」であるし、閉じた世界の住人に開いた世界を見せて、上記のような理由で納得してもらえないならば無視しておけばいい。 「これはうちの領土だ!」とか「お互いが」言い合っても埒があかないのは自明の理だろう(そりゃ「広い方」を取るよね)。  だから第3者が普通に決めればいいじゃないか。そこに明確な線引いて、「超えたら、こんなペナルティあります。いいですね?」てすりゃいい。そこを守りながらじゃないとまともな外交が出来ないでしょ。 閉じた世界は怖いし、厄介だ。 「あの怖さと厄介さが、いいよな」て思ってるのが安倍じゃないのか。 日本はようやく成熟した国への第一歩を踏み出している(日本のいろんなものが世界一だと思えるようになってきている。一昔前は違った)、と実感しているのに、せっせと閉じようとしている今の日本。 日本には多面的な人間なんていない、もしくは極少数、というのが歳を重ねてきた実感ではあるが(多面的でないからある意味善良な国民なんだろう)、今の日本に求められている政治家は自然と「国を閉じようとしちゃう側面」も同時に持ち合わせてしまうのだろう。