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四季が踊りだす

四季が踊りだす。 冬は思いっきり温かい鍋を食べよう。 春は、そうだな、ピクニックだ。 夏は浜辺で、ガチ・ビーチバレー。 秋は紅葉見ながら蕎麦でも食べて、 冬はまた思いっきり温かい鍋だ。 その前に街にでて、明かりやら何やらを眺めて、 好きな色のコートでも買って、 プレゼントに、そのコートに良く合うマフラーと手袋を買おう。 これからいろんな出会いや、 耐えられない別れもあるのかな。 でも四季が踊りだすのがわかったなら、 僕はそれを眺めていられるのが嬉しい。 祝え。 祝えたらいいなー。 明日晴れたら川辺を走ろう。 きめた。

コンサンプションタックス

ひさびさの更新で、しかもちょいと時代遅れの消費税率アップについて書くという奇行。 なんとなく書きたくなって。でもツイッターじゃないなー、もちろんFBでもないなー、みたいな。 消費税率アップには大いに賛成というか。みな「今よりは」消費に慎重なるでしょ。しかも不景気なんだし。 そうすると無駄な消費が減るというか。無駄な消費、って何か嫌じゃん。ゴミも増えるんだし、無駄な資源も使うんだし。 でもそうすると政府の目的である税収アップは果たせないと思うのよ。消費自体減るんだから、税率アップしても、ねえ。もちろん駆け込み消費による税収アップはいくらかあるだろけど。 だから心配なのは将来の国の金。税収落ち込む中で賢くやりくりできそうな頭の良さそうな人はいなさそうだし、原発の後処理にいくらでも注ぎ込むような先の見えてない阿呆だらけだし。 なんだかテキトーだよね、政治。 政治の悪口を言いたいのではなくて、消費税率アップによる「賢い消費」が増える事に少し希望を見出しつつ、でも「賢い消費が増える事による税収の減少」も同時に憂いている、と。 でも、というか、話題変わるかもけど、日本人てようやく「オリジナル」で「良い国民」であることを理解しだしたんじゃないかな。だからもっともっと世界に於ける立ち位置を自覚していくといいと思う。 これまでは国民も政治家も「陰に隠れているから、まあ何でもしていいや。阿呆でもいいや」て感じだったと思うの、ざっくり言って。顔の見えない人たちが何やら好き勝手やってその結果が今だと。 消費税率アップって何か1つのきっかけよなとか思う。なんでもいいんだよ、考える、っていう行為であれば。「消費税率上がるし、本当にいるものを考えよう」ってなればさ、確実に顔の見えない人たちが、「顔が見えても恥ずかしくない」とこに一歩近づく。そして作る側も本気で考える。「良いものって?」って。 消費税率どんどん上げれ(無責任w)。少なくとも僕は自分の欲しい物はわかってるし、国の将来も憂いているので問題はありません。よ?

理想とするのは

・とことん深く考え ・軽やかに ・常に多面的に 生きる、ということだろうか。 その方が面白そう、という選択をしてるんだと思う。 だからついバランスをとってしまう。 そしてその振り幅をどれどけ大きくしていくか、 がこれからの人生のテーマなんかなと思う。 欲張りなんかも知れん。 集中力がないのかも知れん。 でもそういうのを選択してしまったんだ、と。

なぜ遊びに旅をチョイスするのか

 放置してたブログを連日更新するという荒業。まあでも某ジンのための材料あつめ。  なぜ遊びに旅をチョイスするのか。休みが出来たらなぜ旅、遠足に出かけるのか。  それは「偶然性、偶発性が高いところでの出来事に楽しみながら対処していく刺激」を求めてるのだと思う。  いやなぜこういうことを考えたのかというと、楽しかったGWから日常に戻るとなぜ「つまらない」のかとふと思って。あーこの生活がまた続いて行くんだ、と思うと本当思うところがあった次第でして。  じゃあ仕事をしながら楽しむためには、自分が「偶然性、偶発性が高いところでの出来事を楽しみながら対処していく」仕事を見つければいいのではないかと。もしくは今の仕事をそういうふうに捉えることが出来ればいいのではないかと。  まあでも「楽しみながら」というところがミソというか、いや既に「楽しみながら」と言ってしまっているので身も蓋もないのだが、ただ、そういうふうに仕事のある日々が送れればそういうことなのかな、と。  仕事の目的はもちろんお金だが、それが全てになってしまっては本当に味気ないと思う。ギャンブルやる奴に「生活に困らないくらいお金やるからギャンブルやめろ」と言ってもそいつはその金を握りしめてまたギャンブルに出かけて行くだろうし、いちご狩りに出かけようとしている人に「いやいちごあげるからいちご狩り行かなくていいよ」と言えば、その人は怒りだしてしまうだろう。「いやそういう問題ではない」  人は過程のところで「偶然性、偶発性が高いところでの出来事に楽しみながら対処していく刺激」を求めて動いているのだと思う。だから仕事もきっとそうだ。「お金やるから働かなくていいよ」というのは、何か決定的に間違っているのではないか、と。寝よ。

無形のままでもいいかも、というか無形のままがいいのかも

 フルで動きまくったGWが終了。いろんな人に会って、それは知り合いや家族や旅先で出会った人も含めて、量も種類もたくさんのインプットがあった。  今はそれらは原料として自分の中に存在してるし、それをいろいろ取り出してじっくり眺めるにはまだ形を成していない。並べられた粘土を、「この人から聴いた事というのはこういう形でした」と成形していく過程がいるのだと思うのだが、今のこの「自分の中に何かある」感というのが大事なのではないかと、ふつふつと思い始めて。    つまり、成形してしまうとそれは自分の中から少し距離が離れてしまうのではないかと。端的に言えば「考えるより動け」という事なのかも知れない。  あまり整理せず、「ただの燃料」として、自分が動けば、ね、と。  今日は仕事なのであんま書く時間無いのだけど、キーワードが出てきた事も事実。 「欲とスピードの関係性」。欲を強くする事が大事というのが今回の休みで得たものの大きな1つなのだが、、やっぱ長くなりそうだ。また今度書こ。

春。 いろいろと融解する。 固めてた感情も。 毎年そうだ。 嬉しいのだけど、嬉しいのだけど、上るのだけど、高揚するのだけど、 その位置エネルギーが致命的になる場合だってある。 春。 毎年なんでそうも思わせぶりなんだ。 なんだってなれる。なんだってなれるさ。 幻というか、幻ではないのだけど、 だからこそ気付かされる。自分に。 春はいろいろと融解する。 固まってたはずの感情も。