人と話すこと

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銀河 / 原田郁子
今年のGWは9連休と、なかなかの強烈な連休。「そんなに連休があるなら海外とか行けるね」という話もあったが、なかなかこの歳になるとそれぞれに都合があって、行くとしても一人とか、二人とかになってしまい、連休の大半を一人か、二人で過ごすことになってしまう。僕は割とこういう休みがあるときは「なるべく多くの人に会いたい」と思うので、なかなか海外旅行というのに縁が遠いのである。
 「人間関係を最新にアップデートをする」という表現は何だか冷たい感じや、損得感を感じさせるかも知れないが、その表現が割としっくりくる。時間が空いて再会すると何だかスムーズじゃないというか、「会うのに少し余計な力を入れる必要がある」というか。久しぶりの人に会うのはとても楽しいし、嬉しいし、その当時の気分も戻るしいいんだけど、会える人には年に1回くらいは会って、会うときも自然体で会えるのもいいのではないか、と。いきなり突っ込んだ話とか深い話とか出来て「現状を確認し合う手間」が省ける、というか。
 特に僕の仕事のような業種であればGWくらいしかまともな連休はなく、お盆や正月は実は生徒のことで頭が占められていたりするが、GWは生徒には申し訳ないが、完全に頭は仕事のことはからっぽにしている。

 しかしその中で元福岡の同僚のYさんと話すのはとても楽しい。上にも少し書いたけど自ら深い話や抽象的な話をしてくれるのでなんだかいろんな手間が省けて気を使わずに話すことが出来る。もちろんYさんの考えていることは素晴らしいし、とても納得がいくものなので聞いているだけでも勉強になるのだが、会話はキャッチボールなので、投げられたボールに対して瞬時にいろんなことを考えてボールを返すのであるが、そのときに「こんなことを俺は考えているのか」と、返すボールを見つめながら思うことがあり、それが人と話すことの醍醐味であると。瞬時に返すようなプレッシャーをかけることで埋もれているものを強引に掘り出しているというか。

 そのときに話したことを備忘録的に記そうと思ってこれを書き始めたんだった。
・自分の将来を考えるときに、「塾」で働いていること、ということをどう捉えるのか。「教育」というのが「子どもの幸せ」に繋がるものだとすれば、いろんな方向から子どもを幸せにする方法がある。スポーツを教えることで子どもの幸せを願っている人もいるし、音楽を教えることで子どもの幸せを真剣に考えている人もいる。もちろん塾も「成績を上げる」ことで子どもの幸せを願っているわけである。
 しかし一人の人がそれら全てを担えるわけが無い。「スポーツ」も「芸術」も「勉強」も全てを「教えることが出来る」人なんていないのではないか。内田樹さんはその中で「合気道」と「哲学」を選んで生徒に教えられているのだと思うけど。
 ならば今の道をどんどん掘り下げていくことは別に停滞でもないのではないか。その方面で子どもの幸せをアシストしてあげればいいのではないか、と思った。Yさんの「僕は正月にいろいろ考えますね」と言っていた。「子どもの幸せ」という観点から僕もいろいろ考えてみようと思う。

・「才能」とか「向き」「不向き」とかいろいろあるとは思うけども、「どれだけ集中して継続出来るか」というのがその子の能力が開花する上でとても大事なことであると。「努力したって、、、」ていう人がいるが、はっきり言って努力は裏切らない。集中の度合いが努力の「密度」であり、継続が努力の「量」に関係する。従って、努力の密度と量が揃えば必ず開花する。そのためには、子どもが今やっていることに対して不安感を抱いてはいけない。「このままで大丈夫か」と思った瞬間に、集中も継続も破綻する。それを「このままで大丈夫なんだ」と思わせることが「教育」なんだ、ということ。
 これを聞けたのは、はっきり言ってデカい。これからの仕事上での自分の在り方に揺さぶりをかけるような出来事。
 Yさんのすごいところは「こうしたほうがいいと思うんですよ」というニュアンスでは全くモノを言わないところ。「自分はこう思う」ってことを淡々と話す。そこには会社や他者の存在は感じさせない。ところどころ上長の話をするが、これがとても素晴らしい人で。とにかく任せて全く口を出さないらしい。でも絶対に正解を持っていることはアリアリと感じられる。そして結果が出て失敗をしたときに少しアドバイス的なことを言ってくれる。その時も「もっと言ってくれよ」くらいのアドバイスらしいのだが。僕の状況からすれば羨ましい限りで。

ちょっと腹が減ったのでここら辺で。また思い出したら何か書こ。じゃないと忘れてしまうし。

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